ニュースやネット記事で「自称会社員」「自称ユーチューバー」といった表現を目にしたこと、ありませんか?
なぜ「会社員」と断定せずに、わざわざ「自称」とつけるのか……。ちょっと引っかかりますよね。
今回は、そんな「自称」という言葉が報道で使われる理由や背景について、法律やメディアの視点からわかりやすく解説していきます!
🔍 なぜ「自称」と報道で書かれるのか
そもそも「自称」とはどういう意味?
「自称」とは、自分でそう名乗っている、という意味の言葉です。
たとえば「自称・画家」であれば、本人はそう言っているけれど、他人からの裏付けがあるかどうかはわからない、というニュアンスになります。
辞書では「自分でそう称していること。他人が認めたとは限らない」と定義されています。
つまり、「自称」とつくことで、言葉の信頼性にはちょっとした“保留”がかかるんですね。
日常会話でも、「あの人、自称インフルエンサーらしいよ」と言えば、「本人はそう言ってるけど、実態はどうなんだろう?」という半信半疑の感覚が含まれています。
この微妙な距離感が、「自称」という言葉の大きな特徴です。
報道で使われる場合、この言葉は単なる揶揄や疑念の表現ではなく、もっと明確な理由があるんです。
次の章では、実際にニュース記事などで「自称」がどう使われているのかを、具体的に見ていきましょう。
報道やニュースでの「自称」の使われ方
ニュース記事では、「自称会社員」「自称学生」「自称ユーチューバー」などの表現をよく目にしますよね。
これは、主に警察発表や記者会見など、公的機関の情報をもとに報道されるときに使われる言い回しです。
たとえば、逮捕された人物について「自称ユーチューバー」と書かれていた場合、それは本人が取り調べの際に「自分はユーチューバーです」と名乗ったという意味です。
しかし、警察としてその人物が本当にユーチューバーであることを確認できていない場合、断定的に「ユーチューバー」とは書けません。
そこで「自称」というクッション言葉が使われるのです。
この言葉を使うことで、メディアは「本人の証言には基づいているが、客観的な裏付けはまだ取れていない」という状況を、読者に伝えています。
また、「自称無職」といった表現にも注意が必要です。
「無職なのに“自称”?」と感じるかもしれませんが、これは「職業不詳」とほぼ同じ意味。
本人が無職だと名乗っていても、過去に仕事をしていた形跡がある、収入源が不明、といったケースでよく使われます。
つまり、「自称」は単なる言葉の遊びではなく、報道の中で事実確認の段階を丁寧に表現するための“必要な言葉”なのです。
「自称」を使う場面とそうでない場面の違い
では、なぜある人は「自称会社員」と報道され、別の人はただの「会社員」と報道されるのでしょうか?
そこには明確な基準があります。
「自称」が使われるのは、主に以下のような場合です:
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身元や職業が本人の申し立てによるもので、裏付けが取れていないとき
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本名・職業・所属団体などを、警察や報道機関が確認中のとき
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偽名や通称を使用している可能性があるとき
一方、本人の申告内容に対して、勤務先や住民票などの公的情報、第三者からの証言などで裏付けが取れている場合は、「自称」は使われません。
この場合、報道はその情報を事実として扱うことができるからです。
また、逮捕された場合など、本人の供述に信頼性が求められる場面では特に慎重になります。
たとえば「自称・医師」と名乗っていても、医師免許の確認ができなければ、報道では「自称」と書かれます。
これにより、視聴者や読者が誤解してしまうのを防ぐ役割があるのです。
「自称」の背景にある法律とメディア倫理
法律上の観点から見た「自称」
報道で「自称」が使われる背景には、名誉毀損(めいよきそん)や信用毀損(しんようきそん)といった法的リスクを回避する目的があります。
たとえば、もし報道が本人の供述を根拠に「この人物は会社員」と断定してしまい、後にそれが誤報だった場合、本人や関係者から訴えられる可能性があります。
さらに、その報道によって企業の評判が落ちたとすれば、企業側からの法的措置も考えられます。
このようなリスクを避けるために、報道機関は「断定を避ける言い回し」を用いるのが基本方針。
つまり「自称」は、報道機関が訴訟リスクを避けるための“安全装置”として機能しているのです。
メディアが慎重になる理由
メディアが「自称」にこだわるのは、視聴者や読者に“真実らしく聞こえるウソ”を伝えてしまうことへの強い責任感からです。
もし、誰かが「自称プロ野球選手」と名乗ったとしましょう。
報道がそれを「プロ野球選手」とだけ書いてしまえば、視聴者はその人物が球団に所属している現役選手だと誤解してしまうかもしれません。
誤報は、たったひとつの言葉で大きな波紋を呼びます。
SNS時代の今、拡散力はかつてないほど高まっており、誤った情報が一度広がると、訂正するのは非常に困難です。
こうした事情をふまえて、メディアは事実確認が取れるまでは「自称」と表現し、あくまで本人の申し立てであるというスタンスを貫いています。
「自称」と報道倫理のバランス
報道機関にとって大切なのは、事実をありのままに伝えることと同時に、中立性と公正性を保つことです。
「自称」という言葉を使うことで、過度に人物像を脚色したり、断定したりせず、視聴者に“情報の余白”を残すことができます。
一方で、「自称ばかりで情報が薄い」と感じる視聴者もいるかもしれません。
そのバランスを取るために、メディアは背景情報を補足したり、周囲の証言を引用したりして、できる限り正確かつ公平な報道を心がけているのです。
「自称」に込められた報道のメッセージ
報道する側が伝えたい“微妙な距離感”
報道における「自称」は、事実と仮説の間にある“グレーゾーン”を丁寧に扱うための表現です。
本人の申告は尊重しつつも、あくまで「まだ確定ではない」という立場を表明しているわけです。
この微妙な距離感は、記者や編集者が「言葉をどう使うか」に非常に敏感であることの証拠でもあります。
報道機関は言葉ひとつで、人々の認識や印象を大きく左右するという重責を背負っているのです。
読み手としてどう受け取るべきか
「自称〇〇」と書かれていたら、それは“まだ確定していない情報”であることを意味します。
その裏には、情報提供者や警察、報道機関の「慎重さ」があるということを理解しておくと、ニュースの見方が少し変わるかもしれません。
情報リテラシーが求められる今の時代、私たち読み手も「これはまだ途中経過の情報かもしれない」と意識しながら読むことで、メディアとの健全な距離を保つことができます。
まとめ|「自称」に惑わされない情報リテラシーを
この記事のまとめとポイント
「自称」という言葉は、報道機関が事実確認を終えるまでの“仮の表現”として使う重要な言葉です。
身元や職業が未確認の段階で、断定的な報道を避けるために用いられています。
読者としては、「自称」とついている情報は、まだ検証中の段階であることを理解し、安易に信じすぎず、冷静に受け止める姿勢が大切です。
報道が正確であるために、そして読者が誤解しないために――
「自称」という小さな言葉には、メディアと社会の信頼関係が詰まっているのです。