1958年、日本の南極観測隊が昭和基地を撤退する際、多くのカラフト犬が南極に置き去りにされました。
この出来事を基にした映画『南極物語』(1983年)は、日本国内で大ヒットし、後にハリウッド版『Eight Below』(2006年)としてもリメイクされました。
しかし、そもそも なぜ観測隊は犬たちを置き去りにせざるを得なかったのか? また、タロとジロはなぜ生き延びることができたのか? これらの疑問に対する答えを、実際の歴史や南極観測の背景とともに詳しく解説していきます。
南極観測隊とカラフト犬の役割とは?
日本の南極観測隊と犬ぞりの関係
1956年、日本は第一次南極観測隊を派遣し、南極の昭和基地を建設しました。
南極観測の目的は、気象観測や地質調査、生物研究など多岐にわたります。
しかし、南極の厳しい環境では、人間だけの力で移動や物資運搬を行うことは困難でした。
そこで活躍したのが カラフト犬(樺太犬) です。カラフト犬は、寒冷地に適応した犬種で、かつて北海道やシベリアでそり犬として活躍していました。
南極では、犬ぞりが観測隊の重要な移動手段となり、長距離の移動や物資運搬に欠かせない存在でした。
当時、日本の南極観測隊は、北海道や樺太(現在のサハリン)で訓練されたカラフト犬を南極に連れて行き、現地での過酷な作業に従事させました。
南極観測隊の成功には、これらの犬たちの力が大きく貢献していたのです。
極寒の南極で犬たちは何をしていたのか?
南極の冬は氷点下50度以下にまで冷え込み、猛烈なブリザードが吹き荒れます。
このような過酷な環境の中で、カラフト犬たちはそりを引いて観測隊を支えました。
犬たちの主な役割
- 物資運搬:雪上車が入れない場所では、犬ぞりが唯一の移動手段
- 偵察・先導:氷の割れ目(クレバス)を避けるため、犬が先に進むことで安全確認
- 救助活動:吹雪の中、観測隊員が迷った際のナビゲーション
犬たちは、氷点下の環境でも厚い毛皮と強靭な体力で生き抜くことができました。
また、観測隊の隊員にとっては、厳しい環境の中で精神的な支えにもなっていたのです。
なぜ南極に犬を置き去りにしたのか?
1958年、緊急撤退の決断
1958年、日本の第一次南極観測隊は昭和基地での活動を続けていました。
しかし、その年の冬は予想以上に過酷で、基地の維持が困難になりつつありました。
さらに、南極への補給船「宗谷」が氷に阻まれ、予定通りに物資や人員を輸送できなくなったのです。
この状況を受け、観測隊本部は 昭和基地からの緊急撤退 を決断しました。
しかし、大きな問題がありました。それは 犬たちをどうするか ということです。
当時、南極にいたカラフト犬は全部で15頭。彼らは観測隊とともに昭和基地で活動していましたが、緊急撤退時には すべての犬を連れて帰ることができない という深刻な決断を迫られました。
その主な理由は以下の通りです。
- 悪天候による撤退の遅れ
→ ヘリコプターでの撤収計画が狂い、人員の輸送が優先された - 輸送機の積載制限
→ 物資や人員を優先するため、犬を運ぶスペースがなかった - 時間の制約
→ 迅速な撤退が求められ、犬を収容する時間がなかった
こうして、やむを得ず 犬たちは昭和基地に置き去り にされることになったのです。
置き去りになった犬たちの運命
観測隊は、犬たちを基地の外に残し、鎖につないでおくしかありませんでした。
犬たちが無事に冬を越せるよう、十分な餌を残しておくことも検討されましたが、実際にはそれほどの余裕がなかったとされています。
こうして、15頭のカラフト犬たちは、南極の極寒の中、救助が来ることを信じて取り残されました。
その後、1959年に 第二次南極観測隊が昭和基地に戻ったとき、衝撃的な事実が明らかになります。
生き残っていた犬は、わずか2頭だけだったのです。
その2頭が、タロとジロ でした。
ほかの13頭の犬たちは、鎖につながれたまま息絶えたと考えられています。
一部の犬は鎖が外れ、どこかへ姿を消したとも言われていますが、南極の過酷な環境を考えれば、生存の可能性は極めて低いでしょう。
タロ・ジロはなぜ生き延びることができたのか?
奇跡の生還!発見時の様子
1959年1月14日、日本の 第二次南極観測隊 が再び昭和基地に到着しました。
彼らは、1年前に 置き去りにせざるを得なかった15頭のカラフト犬の運命を確認するため、昭和基地周辺を慎重に調査しました。
すると、想像を超える光景が待っていました。
タロとジロの2頭が、生きていたのです。
彼らは昭和基地周辺を歩き回っており、やせ細ってはいたものの、健康状態は比較的良好でした。
南極の過酷な冬を乗り越えたこの事実に、観測隊員たちは驚きと感動を隠せませんでした。
しかし、なぜ タロとジロだけが生き延びることができたのか? それにはいくつかの要因が考えられています。
生存できた理由とは?
① 鎖が外れ、自由に動けた
他の犬たちは鎖につながれたまま凍死してしまいましたが、タロとジロは運良く鎖が外れていた ため、自分たちで自由に移動することができました。
これにより、彼らは 吹雪を避けられる場所を探し、食料を求めて移動 することができたのです。
② 食料を確保できた可能性
南極は極寒の地ですが、昭和基地周辺には ペンギンやアザラシ が生息しています。タロとジロは 野生の本能 を活かし、これらの動物を捕食することで生き延びた可能性があります。
また、基地内には置き去りにされた食料の残りや、氷の下に保存されていた肉などがあったかもしれません。タロとジロは、こうした食糧を探し出して食べることができたのでしょう。
③ 極寒の環境に適応したカラフト犬の耐久力
カラフト犬はもともと 寒冷地での生活に適応した犬種 であり、厚い毛皮と強靭な体力を持っています。
南極の -50℃の環境 でも耐えられる能力を持っていたことが、生存につながったと考えられます。
④ 2頭で協力し合った
タロとジロは 兄弟 であり、お互いに助け合いながら生き延びた可能性が高いです。
極寒の南極では 体を寄せ合って体温を維持 することが重要であり、2頭が支え合いながら寒さをしのいだのでしょう。
タロとジロの発見がもたらした影響
タロとジロの生存は、南極観測隊にとって 希望の象徴 となりました。
- 南極観測隊の士気が大きく向上
- 日本国内でも大きなニュースとなり、南極観測の継続を支持する声が増加
- 「タロ・ジロの奇跡」は、日本中に感動を与え、後の映画『南極物語』の題材にもなった
彼らの生存は単なる奇跡ではなく、犬の適応力と生命力の強さを証明するもの でもありました。
映画『南極物語』と実話の違い
映画での描写と事実の比較
1983年に公開された映画 『南極物語』 は、タロとジロの実話をもとにした作品です。しかし、映画としてのドラマ性を高めるため、実際の出来事とは異なる点がいくつかあります。
項目 | 実話 | 映画『南極物語』 |
---|---|---|
生存した犬の数 | 2頭(タロ・ジロ) | 8頭 |
置き去りの理由 | 悪天候・輸送機の制限 | ほぼ同じだが、ドラマ性を強調 |
犬の行動 | 野生動物を捕食した可能性 | 仲間を守るために協力し合うシーンが多い |
帰還後の扱い | タロは北海道大学、ジロは上野動物園へ | 詳細な描写なし |
映画では、より感動的なストーリーにするため、生存した犬の数を増やし、犬たちの絆を強調する場面 が多く描かれました。
H3:ディズニー映画『Eight Below』との違い
2006年には、ディズニーによってリメイク版の映画 『Eight Below(邦題:南極物語)』 が制作されました。
しかし、この作品は アメリカの南極観測隊 を舞台にしており、日本のタロ・ジロの話とは大きく異なります。
比較項目 | 1983年版『南極物語』 | 2006年版『Eight Below』 |
---|---|---|
舞台 | 日本の南極観測隊(昭和基地) | アメリカの南極観測隊 |
登場する犬の種類 | カラフト犬(樺太犬) | シベリアン・ハスキーとアラスカン・マラミュート |
犬の生存数 | 2頭(タロ・ジロ) | 6頭が生存 |
ストーリーの展開 | 実話に基づく | 大きく脚色され、よりドラマチック |
『Eight Below』では、主人公(アメリカの南極隊員)が 必死に犬たちを救おうとする姿 が強調されており、日本版の『南極物語』よりもアクション要素が強くなっています。
映画の影響と後世への影響
映画『南極物語』は、公開当時 日本国内で記録的なヒット となり、多くの人々に感動を与えました。
その結果、南極観測の歴史やタロ・ジロの実話が広く知られることになった のです。
また、映画の成功により、南極観測の歴史を再評価する動き が生まれ、タロとジロの功績が改めて称えられるようになりました。
『Eight Below』も、動物の生存力と人間との絆 を描いた作品として世界中で人気を博しましたが、日本の実話とは異なる物語になっています。
タロとジロのその後と現在の南極観測
タロ・ジロの晩年と剥製展示
奇跡的に生還した タロとジロ は、その後の南極観測隊とともに日本へ帰還しました。
彼らは日本中で大きな話題となり、「奇跡の犬」として多くの人々に称賛されました。
それぞれの生涯は以下のようになっています。
-
ジロ(弟犬)
- 1960年、昭和基地に留まり、第二次観測隊のそり犬として活躍
- 1961年、南極で病死(推定6歳)
- 遺体は日本に戻され、現在は 国立科学博物館(東京・上野) で剥製展示
-
タロ(兄犬)
- 1959年、日本へ帰還
- 北海道大学で飼育され、長寿を全う
- 1970年に死亡(推定14歳)
- 剥製は 北海道大学の総合博物館 に展示
現在、タロとジロの剥製はそれぞれ異なる場所で展示されており、実際に見ることができます。
彼らの存在は、南極観測の歴史とともに語り継がれています。
現代の南極観測と犬ぞりの廃止
タロとジロの時代、日本の南極観測隊は犬ぞりを主要な移動手段としていました。
しかし、現在の南極観測では犬ぞりは使用されていません。
犬ぞり廃止の理由
- 技術の進化
- 雪上車やスノーモービルなどの機械化が進み、犬ぞりに頼る必要がなくなった。
- 動物保護の観点
- 南極は野生生物の生態系を保護するため、動物の持ち込みが制限されるようになった。
- 環境保護条約
- 1991年の 環境保護に関する南極条約議定書 により、犬などの外来動物の持ち込みが禁止された。
現在、日本の南極観測隊は 「しらせ」 という砕氷船を使用し、昭和基地までの補給や研究を行っています。
技術の進歩により、犬の助けを必要としない環境が整ったのです。
タロ・ジロの功績と現代への影響
タロとジロの生還は、日本の南極観測史において重要な出来事でした。
彼らの存在があったからこそ、日本の南極観測に対する関心が高まり、南極探査の継続に繋がりました。
また、彼らの物語は現在も多くの人々に語り継がれ、「動物と人間の絆」「極限環境での生存能力」 を考えるきっかけとなっています。
まとめ
1958年、日本の南極観測隊が緊急撤退を余儀なくされた際、15頭のカラフト犬が南極の昭和基地に置き去りにされました。
これにより、多くの犬が命を落としましたが、タロとジロの2頭だけが奇跡的に生還しました。
彼らが生き延びることができた理由として、鎖が外れて自由に動けたこと、食料を確保できた可能性、寒冷地に適応したカラフト犬の耐久力 などが挙げられます。
この奇跡の生還は、日本中に感動を与え、1983年には映画『南極物語』として映像化されました。
タロとジロはその後、日本に帰還し、剥製として現在も展示されています。
彼らの物語は 南極観測の歴史の一部として語り継がれ、現在の南極探査にも影響を与えています。
また、現代の南極観測では技術の進歩により犬ぞりは使用されなくなりましたが、タロとジロの功績は今もなお、日本の南極観測の象徴として記憶されています。
この記事のポイント
✅ カラフト犬は南極観測隊にとって重要な存在だった
✅ 1958年の緊急撤退により、15頭の犬が置き去りにされた
✅ 生き残ったのはタロとジロの2頭だけ
✅ 彼らの生還の理由は、自由な移動・食料確保・耐久力
✅ タロとジロの物語は映画『南極物語』として広く知られるようになった
✅ 現代の南極観測では環境保護のため犬の使用は禁止されている